



犬猫会より

いま向き合っておかないとな。そんな風に思ったのは昨年の夏、式典の中継をTVで見ながらだったかもしれない。「戦争」という言葉が日常のなかでちらつくようになったロシアのウクライナ侵攻も思えばきっかけのひとつだった。それから祖父母に当時の話を聞いたり、何故か祖父が持っていた玉音放送のCDを一緒に聴いたりした。
犬猫会で野田秀樹氏『オイル』を上演すると決めてからも、少しずつ80年前のことに触れるなかで、日本という国のアイデンティティや世界との関係性にまで、徐々に興味関心が広がっているのを感じている。
お世辞にも、日頃からちゃんと考えていたわけではない。どころか、知らなすぎる。でもどこかで、日常とは切り離していたり、あえて見ないようにしている部分だったりしないだろうか。
だからこそ、この作品を通して一緒に向き合いたいと思っています。戦争について、あの頃なにが起きていたかについて、私たちが今どのようにして日本に在るのかについて、そして平和について。
私も、今から知るところです。
ご来場、お待ちしています。
山下/山猫 智代
犬猫会より
演劇は、誰かの人生を覗き見ることから始まるのかもしれません。
1945年、夏。
戦争が終わろうとしていた島根県・出雲。
電話交換手の富士が、一本の電話をつなぐ。
その電話の向こうには、誰がいるのか。
神なのか、死者なのか。それとも、私たちが生きているこの世界そのものなのか。
野田秀樹氏の『オイル』は、1945年の出雲を舞台に、電話交換手の富士を中心として、戦争、石油をめぐる日米の関係と、古代出雲の「国譲り」の神話を重ね合わせた作品です。
大きな歴史のうねりの中で描かれるのは、そこに生きる一人ひとりの記憶や喪失、愛するものを奪われた者が抱える「復讐」という感情です。
私たちは、1945年から遠く離れた2026年にいます。
けれど、歴史は過去に置いておけば終わるものなのでしょうか。
「被害」と「加害」。
「敵」と「味方」。
「私たち」と「あの人たち」。
そうした言葉で世界を分けていくとき、その境界からこぼれ落ちてしまうものはないのか。
『オイル』を2026年に上演することは、過去を再現することではなく、過去と現在をもう一度つなぎ直すことだと考えています。
ただし、舞台の上で歴史を説明するつもりはありません。
水野 玲子



